西雲寺【公式サイト】
諸願成就 日限三体地蔵尊 永代供養は川越市の西雲寺

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永代供養は川越市の西雲寺まで

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    当山西雲寺が各家施主様に代わって半永久的に渡り故人様のご供養と護持管理を執り行います

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西雲寺由緒沿革

当山は浄土宗に属し、山号は佛名山、院号は常行院、寺号は西雲寺と号し、昔川越蓮馨寺の末寺の一つであった。開山は般舟三昧院西雲法師(正保二年〔1649〕五月十五日入寂)である。境内には延宝三年(1675)の道俗時衆による大別時念仏の碑が残されており、また、増上寺第二十二世、蓮馨寺第七世暁譽上人が導師となり、元禄7年(1695)四月十四日、既に不断念仏二万日回向完遂という伝承が残っている。山号に語られるとおり、念仏の道場として建立されたことが知られる。西雲寺の寺号は、元来市内仙波の地に在った阿弥陀堂(天台宗寺院)の名称であったと云う記録もあり、そうであれば、後に浄土宗寺院に改宗したものとも推測され得る。浄土宗としての当山第一世は乗蓮社一譽念宗上人であった。

この阿弥陀堂は、松平伊豆守信綱(1596~1662)が河越城主の治世(寛永十六年-1640~)、河越城の南側清水町(現、小仙波)太田十左衛門の屋敷付近に在って、境内からは泉の湧き出るのどかな所であったと云う。そして、約360年前、正保年中(1644~1647)河越城の大拡張に伴い信綱公より脇田村梵心山一町を拝領し、現在の地(現、新富町)へと移転した。しかし、この地で再三の火災に見舞われ(寛永三年・明治二年等)、特に明治二十六年の川越大火の時、記録書類も一部焼失した為に寺歴不詳の箇所も多い。その後、この大火で火煙を被った立杉の払い下げを受け、当山は市内でも逸早く本堂を再建している。

現在の本堂は、二十四世多譽上人代に、板橋中宿の乗蓮寺(現、赤塚・東京大仏)旧本堂の譲与を受け移築し、屋根を入母屋造に改め、昭和五十一年五月五日竣工落慶を厳修したものである。
本尊阿弥陀如来像は木刻坐像(傳・鎌倉期作)で、上品上生の印を結び、柔和な顔相をたたえている。観音勢至両菩薩像、善導法然両大師像、弁財天女立像、延命地蔵尊(貞享三年-1687年作)、十一面千手観音像は本尊と共に平成十二年修復がなった。又、これらと共に日限三体地蔵尊、山越の阿弥陀三尊図軸が寺宝として護持されている。その他には宝暦十年(1761)十一世愍譽代鑄造の銘を付した梵鐘、渡唐天神の像を配祀する稲荷社が在ったと伝えられている。尚、旧山門は明治二年に焼失、旧本堂は明治二十六年に焼失している。

現在、境内には承応四年(1655)の六面体地蔵尊石像、天明三年(1784)大飢饉時に十二世束譽上人が修した五萬日供養の石塔、二十四世多譽上人代に、当時大本山光明寺御法主大野法道台下 の御親修により落慶(昭和三十八年)された三体地蔵尊堂、平成六年に新造された鐘楼がある。そして、二十五世心譽代に至り、山門/永代供養涅槃堂/開山歴代上人墓が新たに建立(平成十二年)された。

当山は菩提樹・沙羅双樹・桜・梅・紅葉等四季折々の風情に満ち、市街中心地に於ける憩いの緑地として市民に広く親しまれている。

第二十五世 心譽圓道 謹書

歴代住職(書類一部焼失不詳)

西雲法師(開山)一譽念宗(第一世)積譽念通(第二世)載譽道運(第三世)寂譽上人誠譽上人蓮永和尚傳波和尚覚譽上人単譽上人廓譽上人愍譽(第十一世)束譽(第十二世)童譽上人嶺譽圓風(第十四世)風譽圓潮(第十五世)相譽圓實(第二十二世)教譽順徹(第二十三世)中興多譽圓順(第二十四世)心譽圓道(第二十五世現住)

西雲寺へのアクセス

丸広百貨店 川越店前
〒350-0043 埼玉県川越市新富町2-5-4

電話 049-222-2258
FAX 049-223-3715

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